あ、そろそろ始めましょうか。
はい。皆さん大変お待たせいたしました。
これからこのブースで、東かがわ市読み聞かせボランティアのふくふくさんとシュークリームさんによる紙芝居のお話会を始めます。
よかったら、そしたら皆さん楽しんで聞いてください。
そしたら始めます。
はい、みんな手袋市へようこそ。
僕は手袋市のヒーロー手袋マン。僕は株式会社で人気者手袋君。
みんなは、東かがわ市が手袋市って呼ばれているの知ってるかい。
知ってる人ー? 手袋市。知らないかなー。
手袋作りが日本一だからだよ。
なんで日本一だと思う?
それはね、新しい手袋作りにどんどんチャレンジしたからだよ。
今日は、東かがわ市初めて手袋工場を作った
それじゃあ、東かがわ手袋誕生物語 はじまり はじまり~。
家が貧乏で兄弟も多かったため、学校へはほとんど通うことができませんでした。
「辰吉 すまんのう。お前が勉強したいことは父ちゃんもお母ちゃんもようわかっとる。学校からはお前が他の子たちより勉強ができることも聞いた。だけど、うちにはお前を学校へ行かせるお金がないやん。」
「父ちゃん、母ちゃん、謝らんとってくれ。俺が働かないかんことはわかっとる。俺、働きながらでも文字が習えるところに行きたい。だから教蓮寺で働きたい。」
15歳の辰吉は一生懸命お寺の仕事をし、時間を見つけてはたくさん本を読みました。
辰吉がお寺で働いていた頃、日本は近代化の大きな波の中にありました。
「大阪や神戸では、鉄で作った船が水に沈まないそうじゃ。」
「それどころかスイスイし、なんと鉄の橋もあるようじゃ。」
「わしも夕方になると、街のいろんなところで電気というものがいっぺんにつくと聞いたぞ。電気は家の中を明るくするそうじゃ。」
村人の話を聞いていた辰吉は都会に行き、本物を見てみたいと強く思いました。
そして、大阪で手袋を作っていた親戚の
「辰吉、親や兄弟と離れて暮らすのは寂しいぞ。仕事も厳しいぞ。本当に大阪へ来るんか?」
「もちろん、俺、行きたい。一生懸命働いて、父ちゃんや母ちゃん安心させたい!」
「よーし、わかった。俺と一緒に来い。俺の家でメリヤス手袋の仕事を負えるんだよ。」
17歳で大阪へ行った辰吉ですが、親戚の舜礼は病気ですぐに亡くなりました。
辰吉は知人の家で朝から晩まで黙々と働きました。
21歳の頃、自分の会社を作り、ふるさとから家族を呼び寄せ、一緒に暮らしを始めました。
商売もだんだん繁盛してきた頃、素敵な飾り線あるドイツ製の手袋と出会いました。
「おお!初めて見る手袋だ! なんて素晴らしいんだ! もしかして、私が使っているミシンを改良すれば、同じものが作れるかもしれない。」
「辰吉よ、毎日ご飯も食べず、ほとんど寝ない。そんなに根詰めたら体が壊れるぞ。頼むから少しは休んでおくれ。」
「ありがとう、母さん。大丈夫だよ。心配しないでください。」
辰吉は、改革をあきらめそうになる気持ちと戦いながら、毎日毎日機械と向き合いました。
そんなる日、不思議な夢を見ました。それはたくさんの歯車が出てくる夢でした。
「そうか、歯車か。」
ミシンに歯車を使うアイデアを思いついた辰吉は、さらに一年3ヶ月をかけて研究を重ね、ついにその特別なミシンを完成させました。
辰吉は完成したミシンを広めるため、特許を取ることにしました。特許とは、発明を守りつつ、世の中に公開して使ってもらう仕組みです。ただし、世界で初めての物しか認められません。
辰吉はミシンの説明書を作って、東京の特許局に申請書を出しました。ところが数ヶ月経って、イギリス人が発明したミシンと似ているので、認められないという返事が来ました。
「まさかもう同じミシンが発明されているとは。」
がっかりする・・・・・いました。
いや、まだ本当に同じかどうかはわからないぞ。特許局で詳しく調べてみないと。
「わざわざ東京まで行くんですか? ここから汽車で23時間もかかるんですよ。そこまでするのは無駄ですよ。」
「行かないことには何も始まらない。たとえ無駄でも行って調べる価値はある。」
その後、東京に着いた辰吉は、早速イギリスのミシンの説明書を見せてもらいました。
「確かによく似ている。でも、よく見ると。そのミシンでは、メリヤス布を縫うことはできない。これは私のミシンとの大きな違いだ。」
見つけた違いを説明し、ついに「
辰吉は発明したミシンを独り締めにして使うのではなく、どんどん作って安く売りました。
ミシンはたくさん売れました。その後、故郷との教蓮寺の住職から相談がありました。
「最近、村では塩作りの仕事がなくなり、みんなの生活が苦しくなってきての。辰吉や、なんとかできないかの。」
「そうですね。大事な故郷のことですから。そうだ、住職様。白鳥に手袋の工場を作りませんか材料は私が用意して、作り方も教えましょう。もちろん、出来上がった手袋は私が売ります。」
「本当かありがたい。それなら場所はぜひ、教蓮寺の建物を使ってくれ。」
辰吉は、ふるさとに
こうして、たくさんの人々が手袋を作る仕事を始めました。
その後も辰吉のところには、次々と仕事が舞い込んできました。
忙しい毎日を送る中で、辰吉は思ったのです。
「お金儲けのことだけを考えて生きて、嫌だな。私は手袋作りを発展させて、人々を豊かにしたい。そのためには、もっともっと知識をつけたいな。」
一大決心をした達吉は、会社の人たちに言いました。
「工場の本場といえばアメリカだ。私はアメリカのメりヤス工場を見に行こうと思う。」
「アメリカですか。日本から船で何週間もかかりますよ。それに外国へ行くためのパスポートを作るのに、ものすごく厳しい条件があると聞きましたよ。」
「ありがたいことに、その条件はパスできたんだよ。」
「英語はどうなんですか?わかるんですか。」
「いや、英語はできないんだ。名前を書けるくらいだが、行けばなんとかなるだろう。私はどうしてもアメリカで世界一の工場を見たいんだ。」
今から119年前の1906年、32歳になった辰吉はたった一人でアメリカのニューヨーク近くの駅に降り立ちました。
船と列車を乗り継いで3週間。なんとかここまで来ることができたが。
「もしかして、あなたは日本から来たのかな。」
「はい。ですが、英語が話せなくて。」
「それでも一人で来たのか。すごいな。よし、私が案内してあげよう。」
「本当ですかありがとうございます。」
おかげで、辰吉はなんとか目的地にたどり着くことができました。
それから40日間、辰吉はアメリカ各地の工場をじっくり見てまいりました。最新の機器、広々とした工場。
なんてすごいんだ。
驚きの発見です。それが毎日です。しかし、こう思いました。
「あまりにも工場が大きすぎて、日本でそのまま真似をするのは難しいな。」
多くの経験をして日本に帰った辰吉は、「セーム加工機」という新しい機械を発明し、みんなを驚かせました。
しかし、それで満足する辰吉ではありません。
この機械をもっと良くしたい。それにアメリカ以外の工場も見てみたい。
ドイツには精巧な機械が多いと聞くし、工場の大きさも日本と似ているのではないだろうか。ぜひ見に行きたい。
こうして、4年後にはドイツを中心にヨーロッパ各地の工場に見に行きました。
辰吉は熱心に見学し、ドイツの人にいろいろな機械を見せてもらいました。
「辰吉さん、君はミシンに詳しいと聞くが、この機械をどう思う。」
「うーん、素晴らしい。私の発明したセーム加工機よりずっといい。」
「そうか、この機械も注文してくれたら日本に届けるよ。高いけどね。」
「これから、日本の手袋を良くするためには、お金は惜しまないさ。」
「素晴らしい! 」
辰吉はたくさんの機械を買いました。また、ドイツの工場の仕組みも詳しく勉強して帰りました。
ヨーロッパから帰ってきた辰吉は、日本に合った工場づくりを始めました。
ふるさとにも大きな工場を作るぞ。そうすれば、みんなが働けて、もっと生活が楽になるはずです。
「わかりました、社長。白鳥にも工場を建てましょう。」
その後、東かがわ市にはたくさんの手袋の工場ができました。道を歩けば、街のあちこちからミシンの踏む音が聞こえてくるようになったのです。
辰吉は思いました。
「財産とは、お金ではない。自分の経験であり、技術である。それは独り占めするのではなく、多くの人と分け合うことで、皆が豊かになっていくものだ。」
さあ、そして今から67年前、1958年、辰吉さんは84歳で亡くなったんだ。辰吉さんは生涯、手袋作りに力を注いだんだよ。
でもその成功を自分一人の力とは思わず、周りの人にいつも感謝していたんだ。
大阪には住んでいたけれど、故郷のために工場を建てて仕事をする場所を作ってくれたんだよ。
東かがわ市は日本だけでなく、世界トップクラスの手袋産地になったんだよ。
辰吉さんの決して諦めない強い心とチャレンジ精神、いいものはみんなで分け合う優しい気持ち。
それらはその後の人たちに引き継がれ、今も様々な手袋が開発されているんだ。
今からちょっと紹介させてね。こんな手袋があるんだよ。
みんなも見たことある? まず紹介するのはみんなも一度は使ったことがある子供用の伸びる手袋だよ。
この伸びる技術は30年前に作られたんだよ。どんなサイズの手にも、ぴったりと合ってすごいよね。
次に紹介するのは、働く手袋だよ。これは消防士さんが使っている手袋なんだ。特殊な布を使って、破れない燃えにくい
強い手袋を作っているんだよ。火事の現場で手が使えなくなったら、救助もできないもんね。
最後に紹介するのは、これ何の手袋か知ってる?
スポーツ選手が使っている手袋なんだよ。
これはサッカーのゴールキーパーが使う手袋だよ。
その他にフェンシングやゴルフ、野球の選手の手袋も作っているんだ。今活躍している多くの選手の手袋は、東かがわ市で作られているんだよ。
東かがわ市は今も手袋の街としてチャレンジを続けているのさ。みんなも辰吉さんのようにいろんなことに挑戦してくれよな。それじゃあ、またどこかで会おう。
今日はありがとう聞いてくれて、またねー!
さあ皆さんありがとうね。聞いてくれて。
一つだけクイズを出したいと思います。
今この紙芝居を読みましたが、一つクイズ。
この駅はどこの駅でしょうこの写真です。この駅はどこの駅だと思いますか?わかる人! わかる人! 皆さんよろしくお願いします。
答えは昭和30年、1955年頃の白鳥駅の写真です。はい、白鳥駅の写真でした。
ありがとうございます。
白鳥には手袋の工場もたくさんあったので、地元の人だけでなく、近隣地域からたくさんの方が仕事に通ってました。
その当時も多くの人が働くために白鳥駅を利用していました。今とは全く違う駅だったんですね。
はい、それでは今日はこれでこの紙芝居はおしまいになります。
ありがとうございました。
聞こえましたか。今も流れてくると思うんですけれども。
これは手袋音頭だそうです。
ご存知の方いらっしゃいますか?
何年前ですかね。だいぶ前は踊っていたらしいです。はい、手袋音頭だそうです。
今日はこれを聞きながら終わりたいと思います。
ありがとうございました。